人気ブログランキング | 話題のタグを見る

クリスチャントゥデイ裁判 判決・関係資料

sinsochristiantoday.exblog.jp
ブログトップ
2018年 10月 22日

東京ソフィア教会の信仰弁証文(Kノート著者による)

クリスチャントゥデイ裁判で証拠提出された、東京ソフィア教会での異端的教義の講義記載があるとされるいわゆる「Kノート」。
その執筆者である、Kさんの証言を全文掲載する。
これは、2018年2月23日に東京あいのひかり教会での再検証会の際に配布されたものである。

_________

東京ソフィア教会の信仰弁証文  

2018年2月22日  
東京ソフィア教会元信徒  K

昨今、CTに関連して言及されている東京ソフィア教会に関して提起されたすべての疑惑を解消したとされていた。しかし、今回何故か疑惑提起者が出てきた。そのため当時東京ソフィア教会に通っていた信徒として、私達の信仰を弁証し、不当な疑惑提起について、解明し、一連の攻撃者に謝罪を求めるべく当時書かれた文章をここに再掲する。

問題提起されている「再臨キリスト」については、再臨、来臨など用語すら整理されていないものだが、疑惑の根拠となったとされるノートの持ち主によって明確に否定されたものである。
ここで相手として呼ばれているある教職者との論争に関してはすでに終わったものであるため彼を尊重して氏名、所属団体名を伏せることとする。

水曜日, 11月 01, 2006
1.「疑惑を確証する(1)」 に対して
(以下『Mystery of This Age』より引用)----------------
上は、2002年に東京ソフィア教会で行われた聖書講義の資料です。
講義を受けた××××さんが「まとめ」として記した中に、こうあります。
「新しいキリストがどこかで誕生しているにもかかわらず、その事に気付いていなかった」
posted by Mystery at 4:03 PM
(引用終わり)--------------------------
当時のソフィア教会では、異端に接したことのある人も参加していました。異端からの妨害もありました。そのため、異端の人や異端と出会ったことのある人に正統なキリスト教を教え、また異端の対策講義もしていました。この文章は、私がそれを居眠りしながら聞いたため間違って理解し、宣教師に違うと指摘されたものです。だから下に×があるのです。「新しいキリストがどこかで誕生しているにもかかわらず」など、人間としてキリストが再び現れるとは教えていません。一個人の感想文をどうして教会の教えのようにして引用するのでしょうか。人のノートを勝手に使ったうえに、そのまま宣教師が教えたかのように書かれています。

ここで一つ強く断っておきたいのですが、私は東京ソフィア教会の聖書講義を通して、イエス・キリストを知り、その方を通してだけ神様を知ることが出来、またイエス・キリストこそが真理でありいのちであるということを学びました。救いに至るのは信仰によって、恵みによって、十字架によってと学んだのであり、イエス・キリストこそが救いに至る唯一の道であって、他の手段があると習ったことは一度もありません。私は誰も人間をイエスだと信じたこともないし、その人間が自分の魂の救い主だと告白したり、信じたこともありません。ソフィア教会でもそういう教義はまったくありません。救いはイエス・キリストによるものであり、誰も代わることができない、これがソフィア教会の教えの根本にいつもありました。

ところが、どうして「Mystery of This Age」の作成者たちはこのような書込みでありもしない疑惑を拡散させるのでしょうか。それは相手をカルトにすると有利になる商業主義的な発想か、それとも悪魔的な発想からではないでしょうか。間違った仮定を前提にして、それを確証であるかのように決め付け、憤り興奮する、かなりカルト的思考を持っている者のように見えます。私は、その主導者と戦い、彼らが誰であるかを明らかにしたいと思います。そして、私に臨んだイエスキリストの恵みとその自由を守ります。

posted by mune at 4:26 午後 0 comments links to this post

日曜日, 11月 19, 2006

3.真相解明 ○○○○による「異端捏造事件」

まず最初に、クリスチャンとして私の信仰告白を述べておきます。

私は聖書を通してイエス・キリストを知り、その方を通してだけ神様を知ることが出来ました。またイエス・キリストこそが真理でありいのちだということを学びました。救いに至るのはただ信仰、恵み、十字架によってと学びました。イエス・キリストこそが救いに至る唯一の道だと学びました。救いに他の手段があると学んだことは一度もありません。ただ神様の一方的な恵みによって、私は救われたのです。私は人間を再臨のキリストだと教えられたことはありません。もちろんそう信じているということもあるはずがなく、その人間が私の魂を救いに至らせると告白したこともありません。私が通っていた東京ソフィア教会の教義にもそういう部分はありません。

救いはイエス・キリストによるものであり、誰も代わることができない。このことがいつも東京ソフィア教会で教えられたことの根本にありました。

だから私は、文鮮明をキリストと信じたことは一度もありません。ダビデ張牧師をキリストと信じたことは一度もありません。私のキリストはイエス様だけ。再臨のキリストはイエス・キリストご本人のみです。

聖書講義が恵み深い内容だったので、聴講しながらノートを取るようになりました。ノートを取った講義には通常の講義のほか、異端対策講義もありました。異端の教義の異常性と矛盾点を学ぶ良い機会でした。世にいくつもある異端の教義の問題点を学ぶことで異端に対する抵抗力を持つばかりでなく、イエス様こそ私の救い主だと確信を持つことができました。今思えば、この異端対策講義があったからこそ、異端の牙にかかることなく信仰の道から逸れずに歩むことができていると思います。

私のこの信仰告白を読んだ○○が、『あなたはイエス・キリストを信じてはいけない。私は信じているけれど、あなたが信じているということがあってはならない。信じていないはずだ。』と不信を強要することは実に理解しがたいことです。繰り返しますが私はイエス・キリストを救い主と信じており、他の人間をキリストとして受け入れたことは一度もありません。しかし○○は私が別の福音を学び、他の人間をキリストと信じている異端信徒だと主張し、そうあることを強要しようとさえしています。私の信仰告白はもとより、私の教会も明確な信仰告白を掲げています。礼拝で使用する週報には使徒信条が掲載されていて、使徒信条を告白する教会だということが明らかにされています。それなのに○○は、私たちがイエス・キリストも十字架の贖いの血も信じておらず、他のキリストに傾倒していると言って聞かず、私が自分の信仰を告白し、聖書講義を説明しても、一切聞こうとしません。まるで何かに取り付かれでもしたかのように同じ事を手を変え品を変え主張して押し付けています。果たして私には○○のために異端の烙印を押される運命しかないというのでしょうか。

ただ唖然とするより他ない状況にあるわけですが、その中で私は○○に問いたいことがあります。私が自身の信仰を告白し公表しているのに、なお○○は私がほかのキリストを信じており、周囲を欺こうとしていると主張をやめず、私の体験からの信仰告白を踏みにじろうとさえするのはどうしてなのですか。私が○○の展開する荒唐無稽な論理を弁解し支援すべく、異端に仕立てられてあげなければならないのですか。それとも○○○○がおっしゃることなので、私が彼の主張の道化師となり、異端信徒を演じないといけないのですか。

果たしてこれが福音的といえるのでしょうか。○○が自負する福音主義とは一体どのようなものなのでしょう。

○○は親切心から、ある聖句を100回暗唱するようにと助言をくださいました。[主イエスよ、来てください] クリスチャンなら誰もが主イエスの臨在を待ち望んでいるのが当然です。主イエス・キリストの再臨を待ち望んでいるのは自分だけだとでも言いたいのですか。どうすればこんな幼稚な発想がでてくるのですか。

人間をキリストだといい、イエス・キリストではない他の人間をキリストとして秘密裏に崇拝しているとかいうのは未信者や異端たちが主張することであって、福音主義教会の牧師ともあろう人がするとは想像もできないことです。私が○○の主張どおりに他のキリストを待ち望み、違う福音に従っており、イエス・キリストを信じると偽っていると主張するおつもりでしたら、その思い込みを脇に置いて、神様を信じる1人の人間として考えてみてください。果たして口先の言葉だけで神様を欺くことができるでしょうか。私が立つにしろ倒れるにしろ、全ては神様の手中にあるのであって、○○によって左右される問題ではないはずです。

私の約20冊の聖書講義ノートを目が回るほど見ていれば、途中何行かだけを見て誤解してしまうこともあるでしょう。しかし私はその誤解に対して、『あなたの解釈は実際の講義内容とは異なっている』と、信仰告白とともに解説したはずです。それに対して謝罪をするのが、牧師とされる人の道義として然るべき態度のはずです。謝罪がないばかりでなく、インターネットの匿名性を隠れ蓑にしてあちこち公表するというのは、牧師として明らかに道徳性に欠けている行為です。

○○の目は怒りで充血し、耳は塞がれている人のように他の人の話を自動的に遮ってしまうようです。ご自分の妄想に支配された奇怪な言動を慎んでください。私が嘘をついていてマインドコントロールされているという、理解に苦しむことばかり述べられています。一旦深呼吸でもして、心の中の興奮を落ち着かせて、もう一度よく考えてみてはいかがですか。そして○○は他人の信仰の自由と良心の自由に対して、自分の思い通りに否認したり他のものに取り替えたりする権利でもお持ちなのですか。そうでないことはあなたの心の良心が知っているはずです。○○は牧師なのですから、プロテスタント信仰の基本が何であるかよくご承知のはずです。信仰の自由と良心の自由は守られなければならないはずです。これを編纂したり婉曲したりすることはできないはずです。私が信じているという事実を、他人であるあなたによって「違う」と押し通され、変えられるものなのですか。

自分の信仰の世界を大切にお思いなのであれば、他人の信仰の世界も同じく大切に思うのが当然です。今は汚い教権主義によって魔女狩りが行われる中世ではありません。誰かが異端だと言えば異端になってしまう時代ではないでしょう。「言論の自由」を用いるのがお好きなようなので言いますが、言論の自由が認められている時代に生きている私たちの中で、○○の言葉だけを聞こうとする人がいると思っているのですか。○○がどれだけの情報操作や私の主張の妨害を企てようとも、それが通用する時代ではありません。現代は○○だけが書くペンを持ち、○○だけが語る口がある時代とでもお思いですか。○○の○○であるのに、社会的地位を笠に来て兄弟を苦しめて快感を感じているサディストに過ぎないのです。○○の精神病的妄想と扇動くらいで私の信仰が揺らぎ倒
れることはありません。あなたの論理どおりだと、イエス・キリストはあなただけが信じるべきなのですか。そうすると私は他の福音と他のキリストを信じるほかないのですね。はい、これで異端信徒を一人仕立て上げられましたね。よかったですね。あなたの狙い通りですものね。もう一度言いますが、イエス・キリストはあなただけが独占的に信じる存在なのですか。イエス・キリストと福音は万人に施された測り知れない神様の愛の恩寵だと私は習い、そして信じています。あなたの展開する論理構造の中には、どうにかしてイエスと私を引き離そうとする意図と陰湿で凶悪な陰謀が見えるのです。

○○、お気づきですか。あなたが卑怯にも引こうとしていた矢はすでに全部折れていることを。

今日、2006年11月19日付けで断言します。今後あなたが他の言動と異端に仕立げるための行為を続けるのなら、あなたの言動全ての責任があなたの罪として帰属されることをご理解ください。私の明確な説明があったにもかかわらず、あなたが他の掲示板・ブログ等匿名性のあるサイトへの掲載とその目的のためのサイト作成をするのなら、私自身の信仰の自由を守るために徹底して抵抗し、今後のキリスト教界の信仰と良心の自由を確立するために戦います。私はあなたの根拠のない怒りが消え、耳が開かれ、充血した目が元に戻ることを、イエス・キリストを信じる一人の信徒として願っています。求めるなら、もっと明確な告白も、公けの場での告白もして差し上げましょう。

○○は謝罪しなさい。汚い矢を放ったことを。謝罪をすれば許します。

これが最後の機会です。

最後に以下の聖句の引用をもって、私の信仰と決意を告白します。

1.使徒の働き4章12節この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。

2.ローマ人への手紙8章38~39節私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

posted by mune at 11:51 午後 0 comments links to this post


by sinso_christianto | 2018-10-22 16:14 | 資料集(クリスチャントゥデイ裁判)


<< 根田祥一氏(クリスチャン新聞・...      張在亨氏の「鮮文大学」教授時代... >>