敬愛する「坂井能大先生」のこと

2006年からクリスチャントゥデイ裁判結審までの数年間にわたって、匿名掲示板「2ちゃんねる」(現5ちゃんねる)に、「クリスチャントゥデイ批判」のカキコミを続けた人物に「元救世軍士官・坂井能大」氏がいる。

坂井氏のインターネットでの評価は、たいへんに「よろしくない」。
坂井氏に対して「辛辣」に批判するブログも数多く存在する。
2ちゃんねるには同氏専用の批判スレッドすらあるのだ。

「坂井能代の発言集」:
「現代の風景 - 随想 吉祥寺の森から:坂井能大事件 刑事問題に」:
「【株式会社】坂井能大を監視しよう♪【bellsheep】」:

実は、私たち「元・再検証連絡会」(現在は解散)の間では、坂井氏に対して「非常に批判的な見方」と同時に、坂井氏を「肯定的に評価する」見解もあり、真っ二つに意見が分かれている

坂井氏から「おにぎり牧師」「大食い牧師」という「あだ名」を頂戴した臼田宣弘牧師は、坂井氏にたいして非常に批判的である。
「うるさいんだよ、坂井能大」:

実は、この「ブログ主」である私は、坂井氏について「好印象」を与える「面白い人物」と「評価」している。
もちろん「何をするかわからない」という不可思議さがあるので、すべてを評価しているわけではないし、時に立腹したことも事実である。

最近は、坂井氏からは「ネコ博士」や「溝黒博士」などと、常に「ほほえましい」ネーミングを頂戴している。

しかし、私は2月23日の説明会の後、坂井氏とFacebookで会話したのだ。
その時、坂井氏から直接「いたわりの言葉」を頂いたことを、忘れることはない。

その時には、坂井氏は今後の「両陣営」(なるもの)の行く末を心配されていた。
対立は不可避でまさに「前夜」だと評されていたし、坂井氏らしい「やさしさ」があふれていた。

坂井氏は、「退役」したとはいえ、「救世軍」で士官(牧師)であった。

そこで、敬意をもって「坂井能大先生」と呼び、私なりに理解する坂井能大先生への「人柄」を書いてみたい。

思い返せば、坂井能大先生の発言によって、非常に参考になることは大いにあった。
「Kノート」が「怪しい文書」ではなく、「伝統的な福音主義的ディスペンセーション神学の聖書講義」に基づいているという分析結果を得ることができたのは、「来臨と再臨の区別」がこの問題では重要だ、という坂井能大先生の示唆によるところが大きいのである。

Facebookでの私に対しての挨拶はこうだった。


いいえ、私は噛ませ犬として登場していますので…
「来臨」については長くなりますのでまたの機会に!おやすみなさいませ!
(2018年2月13日 19:00:Faceookでの坂井能大先生の発言)


自らを論争の「噛ませ犬」と言わしめるほど、自らを傷つけてもいとわない、その動機はどこにあるのか。

私は、坂井先生のことに思いをはせるたび、「心が苦しくなる」ばかりである。

坂井能大先生の「正体」を知りたい賢明な読者の方たちは、ぜひ「国立国会図書館」に行ってみるとよい

国会国立図書館には、坂井能大先生が所属していた救世軍の機関紙「ときのこえ」が創刊号から保存されているからだ。

「ときのこえ」によると、坂井能大先生は、2001年に救世軍の「Y少佐」の牧する杉並小隊(教会)で「兵士」(信徒)になった(2001年2月15日「ときのこえ」第2354号)。

つまり坂井能大先生は「Y少佐」に「見いだされた」のである。

信徒になって一年後、救世軍士官学校(神学校)の準候補として受け入れられている(2002年~2004年『和解の使者』の学年)。

これもY少佐が坂井能大先生の「心のやさしさ」を見て、推薦したのであろう。
入学時の「あかし」についてはこちら:https://sinsochristiantoday.exblog.jp/27010800/

私は、国会図書館の閲覧室で「ときのこえ」のページをめくりながら、坂井能大先生と「Y少佐」の「絆の深さ」を思い、非常に感慨深かった。

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(士官候補生時代の坂井能大氏の「似顔絵」:
2002年11月15日「ときのこえ」第2396号掲載の写真を参照)


その坂井先生の「心のホンネ」は、神学校を卒業し、士官(牧師)の「任命式での証し」に、まさに浮かび上がっているのではないだろうか。

私が候補生になってから一番苦しんだことは、説教、つまり聖書のお話をすることでした。【中略】私は、原稿用紙70 枚の大学の卒論を一週間で完成させましたし、「マシンガントーク坂井」というあだ名を付けられたこともあります。何かを話したり、文章を作ったりすることを、今まで何の苦もなくこなしていました。ですから余計に、原因がよくわからないまま、指摘を受け続ける状況に不甲斐なさを感じていました。【中略】神様が聖書を通して何を話そうとされているのかを求めて、祈る姿勢が、わたしには欠けていたのです。
(2004年3月31日山室軍平記念ホール「任命式の証しより」:2004年4月15日「ときのこえ」第2430号)


今までの中でだれが、「2ちゃんねるの暴君・坂井能大」の「過去」に秘められた「すがすがしい紅顔の美青年・坂井能大」を想像できただろうか。

若き「坂井能大先生」は、説教の実習に躓き、悩み、聖書と格闘し、神に祈っていた純朴な神学校時代を送っておられたのである。

坂井先生はその後、浜松小隊に配属となったようで、当地で「ハレルヤ・コミュニティー・チャーチ(HCC)問題」に関係したようである。
「破壊的カルト問題」に果敢に対峙しようとする動機は、坂井先生の「純粋な正義感」によるのであろう。


その後、不幸にして坂井先生が心から尊敬する「Y少佐」が、クリスチャントゥデイとの間に法的闘争を抱えることになった。

その発端について、坂井先生自身はこう答えておられる。


[クリスチャントゥデイ記者(当時)の]吉本幸恵が、ブログの記事を削除しないと告訴する…という内容のメールをY少佐に送ったのを知ったときからですね。2006年4月です。
(2018年5月15日12:43:Faceookでの坂井能大先生の発言)


この発言は重要である。救世軍の「Y少佐」と「坂井能大先生」は、2006年4月「以前」のクリスチャントゥデイ論争には「関係していないのだ。

ここを押さえておかなければならない。(つまり、それ「以前」に「だれと論争していたか」が問題となるであろう。)

ともかくも、この論争に参加を余儀なくされた坂井能大先生であったが、過去の電話録音もよく聞くと、クリスチャントゥデイ側を心配し、何とか論争を止めたかったと考えている。

その後、2013年11月に長期にわたるクリスチャントゥデイ裁判が結審した。
Y少佐のブログはその後の「紆余曲折」を経て、すでに閉鎖されている。

判決からブログ閉鎖まではこちら:https://sinsochristiantoday.exblog.jp/26961794/

しかし、昨年あたりから再び「クリスチャントゥデイ異端疑惑」が議論されはじめ、今年(2018年)1月末に「日本基督教団」石橋総会議長名での「声明」が出された。

2018年2月23日に日本基督教団の説明会があった。

「2月23日「日本基督教団」説明会」について:https://sinsochristiantoday.exblog.jp/26964947/


その説明化の直後、私たち「再検証連絡会」はすぐ隣の「東京あいのひかり教会」で「再検討会」を開催した。

その「再検討会」の場に、「クリスチャン新聞」編集顧問・根田祥一氏と仲良く座る、坂井能大先生の姿があったのである。



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(2018年2月23日夕方から開かれた「東京あいのひかり教会」の説明会で
同教会の信徒たちの批判にこたえる坂井能大先生のスケッチ)


この「身分を明かさない」不審人物は、匿名掲示板「2ちゃんねる」でクリスチャントゥデイ、および東京ソフィア教会の関係者などに対して、批判的なカキコミを続けていた「救世軍元大尉・坂井能大氏」だったと、『救世軍広報:ときのこえ』の本人写真から判明した。これは帰路に就いた新幹線の中で「再検証連絡会」の書記が「あの人物の『軽さ』は坂井ではないか?」と気が付き、副代表も「あれは坂井である可能性がある」と同意した。しかし、クリスチャントゥデイ矢田氏・内田氏に聞いても、あいのひかり教団の尾形氏・谷川氏に聞いても、まったく確認は取れなかった。匿名掲示板で一方的に書かれているにもかかわらず、また山谷裁判も傍聴のみであったようで、顔を知らなかったようである。むしろ「いろんな人に聞いたのですが、坂井さんとは違う人物だと思います」などという返答すら返って来る始末だった。そこで「再検証連絡会」のメンバーが救世軍関係者に「写真」の照会で確認してみると「坂井に間違いありません」という内示を受けたので、更に確証を得るべく『ときのこえ』第2378号、第2382号、第2396号ほかに掲載されていた救世軍・士官学校時代の写真などで、「東京あいのひかり教会」の説明会での氏名不詳人物が坂井能大氏だった、と明確に確認した。坂井能大氏は「やや日刊カルト新聞」のコメント欄で出席していない第三者のようにふるまっているが、それは間違いである。

2月23日「再検証連絡会」による「再検討会」の様子:https://sinsochristiantoday.exblog.jp/26853035/



再検証連絡会のメンバーが坂井能大先生をよく知る「救世軍の某士官氏」に本人確認を申し入れた。
その際、その「某士官氏」は次のように言っておられた。


「再検証連絡会」メンバー:(写真提示)これ、坂井さんですか?
「救世軍」某士官氏   :会ったんですか…。少し老けましたかね?



この「少し老けましたかね?」はおそらく坂井先生への侮辱では「ない」だろう。
いまは救世軍におらず、いまだに苦労が絶えぬ坂井能大先生のことを思い、「いたわり」の情から「少し老けましたかね?」といったのではなかろうか。
その後、その「某士官氏」は次のように言っておられたようである。


「救世軍」某士官氏   :坂井能大氏は、浜松において、ホームレスのための施設事業を始めようと画策をし、地元自治体などからの補助金の内諾も受け、救世軍に対して、許諾を得ようとしたところで、反対にあい、頭にきて辞めたそうです。


坂井先生が「救世軍がカルト化したのでやめた」という言葉をどこかで書いておられたことを記憶している。

坂井先生は純粋に人助けのためだけの人生を目指して、救世軍に入隊したのではないのだろうか。

救世軍は、坂井能大先生の「人助け」の「清い志」に答えようとしたのだろうか。


2008 年3 月15 日第2524 号
救世軍広報
補若松小隊長坂井能大大尉



坂井能大先生について「ときのこえ」では、その後の記載はない。

事実関係を確かめるため、2018 年4 月17 日に東京・神田神保町の「救世軍本営」に行った。忙しい中、応対いただいた広報担当の小林誠氏は、

「『ときのこえ』には原則として、士官クラスの異動が掲載されるが、逝去の場合は掲載されるが、その他の理由で退官した場合には、掲載されないので、名前が出なくなった士官の行方は、実は本営に勤める、わたしなどでもわからないことが多い

と言っておられた。

坂井能大先生はどこへ行かれたのであろうか。何をなさっておられるのだろうか。ときどきネットでお見掛けする以外に、何をなさっておられるか、ほとんどわからない。

クリスチャントゥデイに関する論争で、坂井能大先生の感じておられた「裏の苦悩」をだれが知っているだろうか。


160 23@張在亨は来臨のキリスト? ◆ngrclJrOBo sage New! 2008/07/25(金) 23:23:01 ID:fsdYMcwD
>>159
エヘヘヘヘヘヘヘ
せっかく普通のクリスチャンではできない汚れ役を引き受けていますのでw



私は坂井先生のこの言葉を読み、心が張り裂ける思いであった。

太宰治が自死をしかけ、井伏鱒二の紹介で富士山の見える峠の茶屋にこもったときの、次の言葉を思い出さずにはおれなかった。

皆は、私を、先生、と呼んだ。私はまじめにそれを受けた。私には、誇るべき何もない。学問もない。才能もない。肉体よごれて、心もまづしい。けれども、苦悩だけは、その青年たちに、先生、と言はれて、だまつてそれを受けていいくらゐの、苦悩は、経て来た。たつたそれだけ。藁(わら)一すぢの自負である。けれども、私は、この自負だけは、はつきり持つてゐたいと思つてゐる。わがままな駄々つ子のやうに言はれて来た私の、裏の苦悩を、一たい幾人知つてゐたらう。(太宰治『富嶽百景』)


当時はクリスチャントゥデイ、ないしその従業員の所属教会であった東京ソフィア教会系列の教職・信徒は、2ちゃんねるに積み上げられていく「身に覚えのない批判」(元東京ソフィア教会牧師の言葉)に、なすすべのない状態であった。

つまり、「クリスチャントゥデイ」や「東京ソフィア教会」と同じ系列教会の側から見るならば、坂井能大先生とその師である「Y少佐」は「敵」だったのかもしれない。

しかし、そんな坂井能大先生の「心の奥底」にある「優しさ」に触れたときに、いかに分裂した状況にあって「なお互いを守ろうと自らを犠牲にした」その「隠れた苦悩」を、きっと知ることができるであろう。

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by sinso_christianto | 2018-07-25 17:07 | 評論(クリスチャントゥデイ裁判) | Comments(0)