「あいのひかり教団」側からの回答

今年(2018年)2月23日の「日本基督教団」の説明会の後、さらに再検討を重ね、質問状を用意したところ、「あいのひかり教団」側から下記の通りの回答が得られた。

(2月23日の「説明会」の模様はこちら:https://sinsochristiantoday.exblog.jp/26964947/

一部を伏せて、公開する。

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(「あいのひかり教団」への質問状の回答書)

溝田様へ
説明会を終えての質問への回答
あいのひかり教団
2018年2月25日

質問1:「洗礼を一切授けない」とビデオ証言。また「洗礼に当たる堅信式」なる表現について。2002年から2005年までのAさんがいたころの「洗礼簿」が残っているか。

回答:Aさんはすでにクリスチャンだったので、洗礼をする必要はなかった。すでに洗礼を受けた人には洗礼はしなかった。洗礼をしなかったというが、聖書の勉強を初めて、洗礼をするまで行く人が実際にいなかった。当時の教会は、5,6人しかいない、フェローシップのような宣教師による開拓教会で、体系的なものは何も確立されていない状態だった。

質問2: Aさんの友人(あいのひかり教団にいまも在籍)による、同一分量(A42枚程度)の2002年から2005年ころの「体験記」。これは自筆、ないし自筆韓国語なら日本語訳を添付で。

回答:「あの教会は大きな教会ではなかった。宣教師から聖書を学び、信仰的な指導を受け、和気あいあいとしたキリストの愛のなかで小さく、貧しいが、美しい教会であったと思う。集団生活という単語は、質問者が誘導を目的に選び、質問に盛り込んだものだと思う。数人の独身者がルームシェアをしたまでのことだ。(当然夫婦は別の住居に住む)意図をもって振り回されているように見える。自分も勇気はないが、そういう教会ではないと発言させてもらった。今もAさんとのキリストの中での交わりを良い思い出として思っている。Aさんには、キリストの中で良い家庭と生活を保っていくことを願う。」

[ブログ主による注:下記の証言も別途得られたので、併せて掲載する。]
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 私が伝道されたのは、大阪の難波で、2004年の秋でした。聖書を勉強してみませんかとのことでした。私は当時20歳で、高校生の時に1年ほど、家の近所の教会のユースグループにいたことがありました。教会は私にとっては親しみのある場所で、その誘いにも素直に行ってみたいと思いました。日本に来て間もない韓国人宣教師さんで、通訳なしでは日本語が話せなかったので、初回の勉強のあと、2回目、3回目は教会のインターンパスターであった、Aさんが教えてくださることになりました。1時間くらいの聖書講義をしてくださいました。
 当時、私は自殺で弟を無くしたばかりでした。そのことを事前に話してあったのですが、聖書講義の時にAさん自身の体験を話してくださったことをよく覚えています。Aさんは二人姉妹の妹だそうですが、お姉さんを自殺でなくしたということでした。とてもよくできる人で、すてきな、あこがれのお姉ちゃんで尊敬していたが、ある日突然自殺してしまった。そのこともつらいことだったが、お姉さんが亡くなった後、両親が今までお姉さんにかけていた期待を自分に向けるようになってしまいそれがとてもつらく、私はお姉ちゃんの代わりなのかという、自分のアイデンティティに対する悩みを持ち辛い思いをしたことを話してくれました。
 そのような中(うちの)教会に伝道されて聖書の勉強をする中で、そうではない。私は私のままで神様に愛される存在なのだということを知ることができた。自分は空を見上げるのができなくて、下ばかり向いているそのような人だったけれど、自分のちっぽけさを感じるから空を見ることが嫌だったが、聖書の勉強をした後は空を見上げることができるようになったと話していたのを覚えています。
 私はその後他の方から聖書を学ぶことになり、Aさんに聖書を教えていただいたのは数回だけでしたが、自分が通っている教会で開拓をしていたので、毎週主日には説教を聞き、同じ食卓で食事をし、いつも楽しい時間を共に過ごしていました。平日も、顔をあわせることはよくありました。
 生活がひっ迫しているのはよく笑い話の種にしていたが、決して暗くはなく、一緒に暮らしている中国人の留学生の人ととても仲が良かったり、教会の中では愛されているという雰囲気だったと思います。
 教会の中には彼女の先輩もいて、彼女を励ましながら支えていたのではないかと思われます。
 わたしに趣味があるのか尋ねられたので当時私は料理を始めたころだったので、料理をしますといったら何か作ってくださいと、昼食時だったので何か作ってほしいといわれ、冷蔵庫に入っている材料で作りました。それを一緒に食べた楽しい思い出があります。
 その後私は教会でしばしば調理をするようになりました。
 彼女が伝道した兄弟が私が教会に来た頃とちょうど同じころに聖書を学ぶために通っていましたが、まじめに聖書を勉強しに来るのではなく、Aさんを個人的に好意を持ってしまったようで、ストーカーみたいに執拗に気分を害するようなメールを送ってくることに悩んでいたのを覚えています。
 心を込めて伝道していましたが意図しないようなことが起こって戸惑っている様子でしたし、このような人も愛で抱くべきなのか、私にそんなことができるのかと悩んでいたようでした。私はその様子を横で見ながら、その兄弟は良く変わるだろうか、人を支えていくのは大変だな、そのように伝道者として人を愛して教えることが大変なのだななど考えたり感じたりしていました。
 私が彼女と一緒にいる期間に彼女が証をしてくれていたことがあります(私だけにではなかったように思います。その場に他の人もいたと思います)。その証は、自分がとても弱くて、何度も倒れそうになったことがあったけれど、主の大いなる恵みと自分を伝道してくれた宣教師さんが励ましてくれたので、そのおかげでよく立ち直れたというような内容を感謝にあふれて語っていたのを覚えています。
 私が彼女といた期間と重なるのは、2004年秋から2006年の2月か3月までだったと思います。
 夫ととても仲が良く、いつも一緒にいたことを覚えています。
 彼女は私の教会のインターンパスターだったので同期のような親しい思い出というのはありませんが、それでも少ない人数の中、乏しい中、聖書の言葉に従って熱心に生きてみようと奮闘していた仲間として、心強い仲間の一人でした。
 お茶目な人で堅苦しくはなく、お姉さんのような雰囲気の方でした。
 神様の愛を中心によく聖書のみ言葉を伝えていらっしゃったと記憶しています。
 自分の弱さも積極的に言葉にしてはなされていて、恵みの世界を話されていました。


以上「牧師のブログ」から引用:https://blog.goo.ne.jp/uccjkc/e/ab38d92203dc3716819216a73b93823c
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質問3:当時、張牧師は、どのくらいの頻度、来日して指導していたのか。どのような指導実態があったのか。

回答:後で調べるとわかると思うが、張牧師という方は、権威主義的な牧師ではなく、くだけた方で、共に食事をし、大阪には5年間で2,3回訪問された。東京は韓国とアメリカを往復するときに寄る場合があったので、大阪よりは多く訪問した。アメリカの大学の仕事が多くなってからは東京に1年に1,2回訪問するようになった。開拓時には頻繁に訪問されていた。指導の実態は、メンタリングであり、張牧師は教会行政も専門だから教会のシステムに関すること、また自立宣教についての指導をされた。

質問4:「ダビデ牧師はよく嘘も智慧だと言っていました」(「元信者による手記」5頁8行目)。実際にこういうことを言った説教は記憶にあるか、あるいはAさんがそう受け取りかねないことに心当たりはあるか。

回答:ない。香港で、中国人にそのように誘導尋問し、悪いイメージを作ろうとしたケースがあったと聞いた。嘘をつくように教えたとしたら教授としてありえないし、牧師としてもありえない。ひどすぎる中傷であり、謀略ではないのかとも考える。

質問5:「はじめはわたしもクリスチャンで教会に行ってるので行けないと断られましたが」(「元信者による手記」5頁4行目)。この時点でAさんはすでに洗礼を受けていると考えられる。もし堅信式があるとしたら、洗礼はどの教派のものでもだいたい有効とみなされることが多いため、東京ソフィアなりに転入する場合には「堅信式」だけでいい、ということになる。当時の記録で、Aさんに該当する記録があれば、洗礼はどこの教会で受け、転入会はどうだったのか。

回答:Aさんはクリスチャンだったので、すでに他の教会で洗礼を受けていたはずだった。5,6人のフェローシップのような教会で体系的な制度は確立されていなかったため、転入会などの制度もなかった。また、韓国の教会には転入会はない。また、開拓していた宣教師も日本の教会では転入会をすることを知らなかった。

質問6:「兄弟部屋」「姉妹部屋」の実態は何なのか?(「元信者による手記」6頁23~24行目)。単なる男女別の部屋割のようにも思われるがいかがか?

回答:当時は宣教師らがいて、日本に家がないため男女別にアパートを借りたもの。すべて小さい教会で、住む人がいても3、4人、多くて5,6人が住んでいたのを集団生活と言うのは誇張だと考える。

質問7:「ダビデ牧師が支配するカルト教会」(「元信者による手記」5頁1行目)とあるが、「あいのひかり教団」ご自身は「破壊的カルトである」という自認はされているかどうか。

回答:ない。悪意による批判であると考える。そのような批判をする者が逆にカルト的だと考える。

質問8:「一か月ほど通った頃に」「その講義は3回ほどあったと思います」(「元信者による手記」5頁20~21行目)。該当する聖書講義のコースは何か心当たりはあるか?

回答:マタイの福音書5章の山上の垂訓から聖書講義が始まることもあり、創世記1-11を勉強した人もいただろう。ローマ書1-8章から始める人もいる。

質問9:「ダビデ牧師は誰だと思う?」「再臨のイエスさま?」「あなたもわかったのね」(「元信者による手記」5頁22~24行目)。このような会話があった記憶はあるか。あるいはこのような誤解を生むような表現に心当たりはあるか。

回答:そのような会話はなかった。当時再臨のイエスとか、再臨のキリストとか言う言葉に拒否感があった。再臨という言葉が入ると、統一協会が作った言葉だということで、警戒したので、そのような言葉を使わない雰囲気だった。
ただ、このようなものかもしれない。ヨハネによる福音書21章で福音書講義が終わるのだが「わたしの羊を飼いなさい」そこで私の羊というのはイエス様の羊だから、羊を飼う人はイエスの心と、犠牲の精神で羊の面倒を見て、また教わる人は「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。」(コロサイ書3章23節)とある。エペソ5章の夫と妻の関係をキリストと教会の関係ようにパウロは話しているではないか。このような聖書の話をよじって、歪曲したものと考える。
このような論争の出発点はKさんのノートに書かれたとする来臨のキリストだったが、今回神様の恵みで、Kさんの講義を聞くときに、となりにいたという2人の証人が現れた。なので、この論争は終結の局面を迎えた。Kさんが反論として書いたブログはあっていた。
このことに関しては後ほど詳細を明らかにする。

質問10:「再臨の主であるダビデ牧師にしか解き明かせない新しい御言葉」(「元信者による手記」5頁25行目)。この内容に心当たりがあるか。

回答:ない。幼稚な言葉のようだ。神学大学の教授がそのような言葉を言うわけがない。

質問11:証言ビデオ中に「張牧師はカリスマ性がある」という表現がされた。その「カリスマ性」についてどのように説明されるか?

回答:張牧師は、そういうカリスマ的な指導者ではない。これから知るようになると思うが、平凡な牧師であり、大学教授だ。

質問12:資料10頁の36~44行目まで。これは「判決」に基づく張師の「経歴」であり、もっとも問題となる箇所の一つ。これについてご説明を願いたい。

回答:CCKの調査結果は98年1月に統一協会との関係が終わったという風に、整理された。しかし、韓国の教育部(日本の文科省にあたる)に詳細な資料にあように、張牧師はメソジスト系の聖化大学で授業をして、鮮文大学に変わる前から授業をしてしていなかったため、98年という年度を公文に入れたのは94年鮮文大学に変わる前に退職したとしても、長期化した退職金紛争が妥結して入金されえたのが98年1月だったため、その日付が公文に入ることとなった。しかし、張牧師は98年1月に統一協会との関係が終わったとの公文に強い不満を表した。
70年台後半から、80年台の韓国神学大学、韓国神学大学大学院を卒業した後、延世大学院、檀国大学博士課程を経、国際合同福音で牧師及び総務として仕事をはじめ、そして1992年フェローシップを始めた。
70年台初頭において、 統一協会の外郭団体(原理研究会)で活動に関する論争は、イエス・キリストを信じる信仰を持って、韓国的神学、土着化神学、現代プロファミリーと呼ばれているものに賛同して活動したのか、統一協会信徒の信仰をもって活動したのか論争が続いている。張牧師は最後の記者会見で、キリスト教信仰をもって活動したと説明し、脱会などという表現自体使うのはあわないと言った。また、ある調査の結果、統一協会の入会願書すらないことが明らかになった。
70年台初頭はから韓国神学大学に入学する前、統一協会の外郭団体(原理研究会)で活動した数年の期間の当時は今日の雰囲気とは異なった。参照:https://drive.google.com/file/d/1gcYtOMM_awVvFqNx5jENfvtirdsSpL4L/view
張牧師の神学的な背景は韓国神学大学に在学中にメンターをした徐南洞教授、李章植教授、アメリカでメンターとしてあおいだラルフ・D・ウィンター教授などの影響を受けたという。以下を参考されたい:
徐南洞教授の論文http://www.riss.kr/search/Search.do?colName=re_a_kor&query=徐南洞
李章植教授の論文 http://www.riss.kr/search/Search.do?colName=re_a_kor&query=李章植
ラルフ・D・ウィンター教授について https://en.wikipedia.org/wiki/Ralph_D._Winter
張牧師の支援で設立された恵岩神学研究所(所長:李章植教授)http://hyeamacademy.org/ (恵岩は李章植教授の号)

質問13:
[ブログ主による注:個人のプライバシーに関する質問・回答のために、現時点では公表しない。]

質問14:資料4頁。(1)①.K氏所有の「東京ソフィア教会における講義ノート」について。現在の所在について、ご存知であるか。わかる範囲でお答え願いたい。また、関係者が所持しておられたら、我々が閲覧可能か、お答え願いたい。

回答:Kさんのノートがどこにあるかは我々は知らない。ノートを持ち去った人から、返してもらう必要があるのではないか。

質問15:今回、「声明」を出した「日本基督教団」の西早稲田の本部建物から「徒歩僅か1分の近距離」に「東京あいのひかり教会」が存在することについて、何か所感があればお答え願いたい。

回答:激しい迫害によって東京ソフィア教会が解散した後、日本基督教団の本部事務所の礼拝堂を主日数時間借りて毎週礼拝していた時期があった。借りるときは暖かく受け入れてもらい礼拝場所を貸して頂いた。教会は失われたが礼拝を守れたことに感謝した。

質問16:証言ビデオ。Aさんが「大阪インマヌエル教会で牧師の称号を与えられた」について。Aさんの2002年~2005年の間の在籍期間に、そういうことがあったか否か。また「牧師の称号を与える」という証言内容に対して、当時の宗教儀礼としてはどのようなものが該当したのか、またそれはどのような宗教儀礼の式次第であったか、ご説明願いたい。

回答:15年前の大阪の教会は、今のあいのひかり教団とは関係がない。大学を卒業した宣教師らが、日本に来てフェローシップのように開拓した教会だった。
その中で、宣教師が帰ってから伝道をする人が必要で、伝道師(インターンパスター)という奉仕を受け持った。当時伝道師を英語ではインターンパスターだから、これを牧師だと思うこともあり得るが、実際の肩書は伝道師だった。教会ごとに伝道者を立てることは可能であったからだ。

質問17:8ページの大韓イエス教長老会合同福音は本当に張牧師が祖国で設立した教団か?


回答:100年以上の歴史がある教団である。世界宣教のために紛争なく2002年9月11日国際合同福音総会から分立した教団だ。CCKの70教団の中で16番目に登載された教団であり、CCKの創立教団の一つだ。合同福音から合福に名称が変わった。そのため、張牧師が設立者であるというのは合わない。
参照: 大韓イエス教長老会合福のウェブサイト:http://pckr.org/

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( 大韓イエス教長老会「合福」のウェブサイト)
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韓国基督教総連合会(CCK)の登録全77教団:
16番目に「대한예수교장로회 총회(합 복)」(大韓イエス教長老会総会(合福))が見える。



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by sinso_christianto | 2018-07-04 20:36 | 資料集(クリスチャントゥデイ裁判) | Comments(0)