「クリスチャントゥデイ問題」の疑惑の核心となる、張在亨牧師の「統一協会前歴疑惑」について、クリスチャントゥデイ元社員某氏から玉稿を頂いたので、掲載する。

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2018-06-15 弁論2

 1970年台当時の韓国の「反共の」キリスト教界で起きた事象は現代の日本とは時代が違い、場所が違い、文化も違う「文脈」で起きた事象なのです。靴を履いてアスファルトで舗装された道を歩き、砂嵐もない現代の日本に生きる人が、イエス様が弟子の足を洗う場面を理解するときに、サンダルを履いて歩いて外から家に入るときには洗わないといけないくらい足が砂だらけになる2000年前の中東の「文脈」を一旦頭に入れないと理解が難しくなります。これと同じように、1970年台の「反共の」韓国キリスト教界の事象は「意外と」理解するのが難しいということを忘れてしまうと、安易に「現代の日本のキリスト教界が現代の日本の統一協会について持っている常識というバイアス」のかかった判断を、バイアスに無意識に、「自分にはバイアスがない状態で見ているという思い込みを持った状態で」してしまって「違和感」を感じることもあるでしょう。もし僕が言ったことに違和感があればそれも違和感の原因の一つかもしれません。
 また、誤解を持たれるかもしれないのでいいますが、だからといって僕が「日本のキリスト教界が現代の日本の統一協会について持っている常識は間違っている」と言っているわけではありません。僕は「その常識」は正しいと思っています。しかし、僕が言っているのは「その常識」が1970年台の反共の韓国キリスト教界と統一協会の関係に「そのまま」「全部」当てはまるかと言うと、そのままは当てはまらない事象や、一部分しか当てはまらない事象があるということです。
 なので何度も前置きしますが、1970年台の韓国の反共のキリスト者らと統一協会の間で起きた事象を扱うときはどんな事象を扱うときも過去日本、現在日本、過去韓国、現在韓国の4通りの場合分けを意識して考えることが重要だと思います。過去の韓国のキリスト教界と統一協会の関係に関する事象を、「現在の日本ではこのように解釈するのが当たり前」「過去の日本ではこう解釈するのが当たり前」「現在の韓国ではこう解釈するのがあたり前」という視点で「うっかり」見てしまうと、「あり得ない、普通じゃない、理解できない、変だ、受け入れられない」ことが出てくるのは当然だと思います。

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張在亨氏に関して『統一世界』に発表された論文(1977年)


 World Wide Webがはじまったのが1990年です。インターネットで検索して出てくる資料は90年以降に書かれたものが大部分でしょう。1970年台の韓国キリスト教界の状況を見るとき、文献を当たるにもデジタル化の壁、時代の壁、言語の壁、国家の壁があります。私達現代日本に生きるクリスチャンがこの問題を論じるにはデジタル化される前の、1970年台に韓国という場所で韓国語という言語で書かれた本、雑誌、教会発行の小冊子、セミナーのプログラム表、会議の議事録などを手に入れる必要があり、韓国語ができる日本人はそのまま読めますが、韓国語ができない日本人は誰かに翻訳を依頼しなければいけません。翻訳するにもデジタルのテキスト形式でないものは一旦ハングルにタイピングするか、Optical Character Recognition (OCR/光学文字認識)ソフトウェアを通してテキストデータにしてから機械翻訳にかける必要があります。これがこの問題で重要となってくる一次資料の収集と解析です。韓国語でウェブ検索をすると、1970年台の1次資料の写真を取ってPDF化したものを教会、教団、神学校、出版社などのウェブサイト上や掲示板にアップロードしたものを見つけることができます。ウェブで韓国のクリスチャンに頼らずやれるのはこれが限界でしょう。韓国のクリスチャンで協力してくれる人がいる場合はもっと調査範囲と収集可能な資料の幅が広がります。韓国の70年台の印刷物をウェブ上にないものの写真を取って、PDF化したり、テキスト化して日本にいる私達に送ってもらうことも可能です。そしてその上で70年台、韓国のキリスト教界で共産主義と実際に戦った牧師、信徒、学生らにインタビューすることも1次資料を集める上で重要な作業となります。インタビューは韓国語ができれば直接韓国語ですればいでしょうが、韓国語ができない人は通訳を依頼しなければいけません。

 僕は記者としてこれらのことをやって、韓国語も学んで、1次資料を集め、翻訳し、解析し、判断材料にしてきました。それでも1970年台の韓国の反共のキリスト者の置かれた「文脈」を完全に理解したとは言えません。生まれてもない時代でしたし、その場にいなかったのですから。しかしある程度は理解したつもりです。だからといって僕が言っていることを鵜呑みにしてくださいと言っているわけでもありません。僕が言っていることはそういう1次資料に基づいているので疑義を呈する場合は反証となる1次資料があると良いということです。僕がなぜこのような方法での資料収集をするようになったのかの背景は以下のようなものです。
 僕は国際基督教大学に2003年に入学し、2004年7月1日にクリスチャンになり、部活を辞めて2005年からクリスチャントゥデイの記者をやるようになりました。2005年にはすでに「CTは統一協会だ」という明らかな虚偽を問題提起者が噂として流布していました。問題提起者の主張が間違っており、風評被害によって迷惑しているのでこれを止めてもらうよう問題提起者らと会談を持ったこともあります。その会談に第三者として当時日本脱カルト協会理事、日本キリスト教協議会書記、日本福音ルーテル教会三鷹教会牧師で、統一協会の専門家として知られていた平岡正幸先生が参加されていました。平岡先生の牧会されていた三鷹教会はICUの敷地のすぐ横のルーテル神学校に併設された教会で大学から歩いていつでも行ける教会でもあり、この問題について意見を聞かせていただくために何度か訪問して話をしました。

 会談の感想として平岡先生は以下のようにおっしゃいました。「カルトかどうかは慎重にしないといけない。私は今のところ判断を保留する。会談に立ち会って、山谷さんの論陣は韓国側の資料にあるが、実際の資料を提示して話をしなければいけないと思った。お互い資料不足だったと思う。張氏が統一協会の信仰を持っていたかどうかが、最初の議論だった。それを含めて議論は全部が平行線だった。統一協会側の資料が、統一協会だから信用できないと言うことと、統一協会側の資料だから信用できると言うことで平行している。どちらも討論であって、資料によって明確化していけばいいと思う。議論の内容が大切だと思う。私が立ち会ったのは議論の内容を吟味しようと思ったから。CT側の主張では張先生がそう(統一協会の信仰を持っていなかった)言ったことだからとあるが、証明にならないところがある。もっと互いに資料を出し合うべきだと思う。もう一度討議するときがあれば、行く用意がある。会談全体に関してはそういう印象を持った。統一協会の信者たちとずいぶん話をしてきたが、やっぱり確実な資料に基づいて進めていかないと、お互い(の主張の正当性を)認めることはできない。統一協会の資料は正しいものも、間違ったものもあると思う。吟味することが大切である。私は今はクリスチャントゥデイが統一協会系(別働隊もしくは外郭団体)だとは思ってない。2004年の春に新聞を発行したときは、そう思われた理由があった。社説が、第一号で非常にファンダメンタルな感じで、ブッシュ大統領のような立場だった。そういう立場もアメリカにはある。クリスチャントゥデイの持っている立場としては強烈に統一協会を批判する立場だった。そのキャンペーンの張り方が通常ではなかった。それはやはり、過去に張先生が、疑惑をもたれていたので払拭したいという気持ちが強かったと思う。そういう形での払拭ではなく、資料としてしっかり提出しないといけないと思う。(クリスチャントゥデイには)そういうことが求められていると思う。」


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(脱カルト協会理事・平岡正幸氏の見解を伝える「リバイバル新聞」2007年6月3日号
当記事の筆者であるクリスチャントゥデイ元社員某氏との会見後に報道されている)


 こういうわけで、1970年台の韓国の反共のキリスト者についての資料に基づいた議論をやっていく必要性が生じたということです。そして僕が1次資料にこだわる理由についてですが、日本で手に入る2次資料はネットで手に入るものでも、デジタル化されていないものでも、1970年台の韓国で起きた事象について、過去日本、現在日本、現在韓国の視点から書かれたもの、そして統一協会が信者を統制するために都合よく解釈し、脚色し、事実の取捨選択をした「統一協会の歴史認識」を事実検証することなく鵜呑みにした視点から書かれたもので溢れているからです。1970年台の韓国の資料や証言で、「執筆年代が80年台でもなく、90年台でもなく、70年台であり、執筆者が統一協会の信者でなく、当時その場にキリスト者としていた人である資料や証言」に当たることがバイアスを極力排除して当時の状況を「違和感なく」理解する上で助かりました。
 統一協会が現在公式的に出している統一協会の歴史は、統一協会が彼らの「歴史認識」に都合良く脚色したものです。その歴史認識は「統一協会は最初から統一協会だった」というものです。統一協会としてはそうあってもらわないと困るのでしょう。韓国という国の成立の貢献度を独立運動の闘士のみに起因させ、日本の植民地政策が果たした学校設立、インフラの整備などの貢献度があたかも全く無く、全部韓国人が自力でやったかのようにする歴史認識と同じようなものです。韓国の特定の人には日本が学校作ったよとか言う人は都合が悪いのと同じように、最初期の統一協会はキリスト教から派生した一種の運動であり、多くのクリスチャンが参加していたなどという言説、つまり反共のキリスト者の歴史認識は「過去現在の日本のキリスト者の統一協会に関する常識」から見るとおかしいこともあるでしょう。
 前置きがものすごく長くなって申し訳ないのですが、この問題に向き合うときに必要なことだと思います。これらを踏まえてですが、1970年台前後の韓国キリスト教界と統一協会の関わりを、つまり張在亨牧師が当時置かれた「文脈」を、「統一協会から見た視点」ではなく、「日本のキリスト者からみた視点」でもなく、「韓国のキリスト者から見た視点」で書かれた出来事の記録とその解釈や評価について読んで見る必要があると思います。
 知っておられる方々もいらっしゃるかと思いますが、韓国に韓国基督教歴史研究所という学術研究機関があります。1990年と91年に日韓のキリスト教の歴史のセミナーを東京都ソウルで開催したり(http://www.ikch.org/home2/1_4.php)、教文館から「韓国キリスト教の受難と抵抗 -韓国キリスト教史1919-45年」と題した書籍が翻訳されて出版されていたり(https://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/archives/13881)、富坂キリスト教センターの「日韓キリスト教関係史」研究会に参加する所員がいたり(http://www.ceam.asia/tcc/protcc.html)しますので、キリスト教の研究機関だと見てよいでしょう。この研究所が1991年7月から発行している学術誌で「韓国のキリスト教と歴史」という雑誌があります(http://www.ikch.org/home2/1_4.php)が、2004年3月に発行された第20号に収録された論文に湖南神学大学校(大韓イエス教長老会統合教団の神学校)の李進龜(イ・ジング)教授が執筆した「統一教会のクリスチャン認定闘争と宗教統一談論」という論文があります(https://www.dbpia.co.kr/Journal/ArticleDetail/NODE01093042?TotalCount=0&Seq=10&Collection=0&Page=0&PageSize=0&isFullText=0&isIdentifyAuthor=1)。李進龜氏は、湖南神学大学校神学部神学科の招聘教授教授で(http://en.htus.ac.kr/menu04/profile-visiting-ljg.htm)、日本でも「越境する日韓宗教文化 ― 韓国の日系新宗教 日本の韓流キリスト教」の第八章 統一教会の日本宣教――日韓比較の視座――の執筆も担当しています(http://hup.gr.jp/modules/zox/index.php?main_page=product_book_info&products_id=800)。
 

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 さて論文「統一教会のキリスト教認定闘争と宗教統一談論」ですが、全文はこちらです(http://m.blog.daum.net/happyjin6119/15513510?np_nil_b=-1)。テキスト化されているので皆さんのブラウザの自動翻訳機能を利用すれば自分で日本語で読むことができます。とりあえず読んでみてください。論文が長いので全部読むのは大変だという方のために一部引用します。機械翻訳をしたもので、日本語表現がおかしくなっているところは修正しました。(修正しきれていない点もあるかもしれませんので、ご指摘ください。)丸括弧は僕の補足です。
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(韓国)国内のキリスト教界は統一教会の任意の認識と態度を示した。キリスト教界が統一教会の存在を意識して警戒態勢を持つの決定的な契機を提供したのは、いわゆる「連帯事件」と「梨大事件」である。1955年に起きたこの事件は、当時の代表的なキリスト教系大学であった延世大学校と梨花女子大学の一部の教授と学生が統一教会に入信した事実が明らかになり、世人の注目を浴びた。学校当局は入校した教授と学生に統一教会から脱退することを勧めたが、これら従わなかった者らすべてを罷免し退学させる強硬措置を取った。22)

 この事件の後プロテスタント教界は統一教会を既成教会を混乱させ、教会の基盤を侵食する「ガン的存在」と断定し、信者と教会の「保護」 の次元で警戒態勢を強化した。各教団は総会の次元で統一教会を「キリスト教を装った疑似宗教集団」と決意して、大規模な統一教反対キャンペーンを展開した。そして、このような運動をより効果的に展開するために「統一教会の汎教団の指導者協議会」、「文鮮明集団の韓国教会対策委員会」、「統一教会の韓国キリスト教対策協議会」のような汎教団的機構を創設した。

 プロテスタント教界が取ったより具体的な措置としては、統一教会の「危険性」を信者に知らせる各種声明の頒布、統一教会関連雑誌や新聞への投稿を禁止、統一教会傘下企業の物品に対する不買運動、23) 統一教会に関連する、キリスト教の人たちの徹底捜索や懲戒などがある。このように、プロテスタント陣営統一教会を「要注意集団」とみなして一般社会とキリスト教から統一教を徹底的に孤立させる「ゲットー化」 戦略を使用するか、統一教会を「不可触集団」(untouchable)と規定する排除の戦略を駆使した。

 一方、このような攻勢的な態度とは異なり、統一教の教義と世界観を「理解」の次元でアプローチする試みもあった。1968年クリスチャンアカデミー主催で開かれた対話集会が代表的な例である。統一教会を「学ぶ」の次元で始まったこの集まりには神学者30人、一般知識10人、 そして統一教の指導級人事10人余りが参加した。24) この席には統一教の教主文鮮明この直接参加し統一教会の理論的参謀の役割をしていた劉孝元が「原理講論」の内容を紹介する問題提起講演を行った。そして、その講演内容の参加者からの質問と統一教会側の回答に集まりが行われたが、当時のマスコミはこの集まりにかなりの関心を見せた。25)

 その後も統一教会の公開的な議論の場、しばしば用意された。1969年と 1970年にそれぞれ開催された延世大学校神学大学院主催の神学公開講座26)とソウル大文理科大學の學林祭の行事の一環として、行われた公開討論会27)が代表的な例である。これらの公論の場で発表の機会を持った延世大学校の神学者だった徐南洞教授は「原理講論」について、かなり肯定的な評価を下した。

 確かに原理講論は今までの韓国の神学界が産出した、神学書の中でその量においても、組織力においても、独創性においても、最高のものとして認められるにふさわしいものである。それだけではなく、原理講論は韓国的神学を志向している点においても独特で、その他の試みと提案に挑戦していて、世界の教会の新しい気流と「新しさ」に対する希望が他を抜きん出ている点などは、注視と研究の対象になりうる。28)

 要するに「原理講論」は、その神学体系の膨大と組織力、想像力と独創性だけではなく、韓国的神学を目指して、さらに世界の教会の流れとも脈を同じくする新しい神学書という非常に肯定的な評価であった。

 もちろん徐南洞教授が統一教会に賞賛だけをしたのではない。彼の論文では統一教の弱点と問題点についても細かく指摘している。彼の行なった統一教会批判の要旨は、① 神数理存在と見て、歴史を数理の調和として見ること、②「神の旨成就」で、神の責任分担を95%、人間の責任分担を5%と規定した点、 ③聖書の歴史批評の不在と黙示文学の過度強調、④領地主義的霊肉二元論⑤人類の歴史を6千年に見る非科学性⑥教会の更新と共産主義撲滅に重点を置いて韓国社会の不正と腐敗に無関心な点⑦だれか具体的な個人を指導者にする危険性などであった。彼の統一教会批判の核心は、その論文の結論部にある。

 すでに心ある人らが、「教会の更新」という執達吏の張り紙を付け、「神の派遣」に出ようとする庭で、原理講論は再び聖フランシスが山の麓に立つ崩れゆくカテドラルの隣を通るとき受けた啓示の言葉をこだましている。「この教会を新たにせよ」29)

 結局、このコメントは、現代神学が「教会の更新」の次元を越えて「世界の更新」という、より大きな課題に向かって進んでいるが、統一教会はまだ「教会の更新」という旧時代の課題にとどまっていることを風刺したものである。

 このように徐南洞は統一教会の教義が持つ弱点と利点を一緒に認める態度を見せたが、大多数の神学者は統一教会の批判一辺倒の態度を取った。特にハンチョルハ教授は徐南洞教授が統一教会を過大評価していると批判し、統一教は現代神学のパラダイムとは無関係だけでなく、「セックスモチーフ」を持った神秘主義的「偶発宗教」に過ぎないと酷評した。30)

 神学者イジョンソンも統一教会の「原理講論」は、「東洋の二元論を骨格に、聖書のメッセージを買う塊にして建てられた混合宗教の殿堂であり、統一教はキリスト教との距離が遠い一つの土俗宗教運動」と規定した。31)したがって統一教会が一つの「宗教運動」を展開することは、彼らの自由だが、その運動を「クリスチャン会議した運動」というのは「言語道断」であり、容認できないと攻撃した。同氏によると、統一協会の教義は、「非聖書」で「非キリスト教的」であり、統一教は 「クリスチャンの名前を口実にした疑似宗派"に過ぎない。32)

 一方、第2バチカン公会議の後、他の宗教に対して開放的な態度を取りながら、宗教間の対話を強調してきローマ教皇庁も統一教会に対してだけ断固たる反対の態度を取った。教皇庁は、統一教会が営利事業、教主の脱税、信者募集での洗脳工作を行う「問題の集団」であり、「キリスト教を装った非キリスト教的集団」と規定した。 それとともにカトリック信者が統一教会に惑わされたり利用されないことをお勧めしている。33)

 このようにカトリックとプロテスタント、保守神学、進歩神学を問わず、クリスチャン陣営全体が統一教の強力な批判的言説と反対運動を展開し、新生宗教集団の位置にあった統一教は生存戦略の次元で「認定闘争」を展開することになる。

Ⅳ。統一教会のキリスト教認定闘争

統一教会のキリスト教陣営の批判と攻撃は、「統一教会は、キリスト教ではない」という一つの命題に圧縮することができる。統一教は階層 文鮮明を 「再臨主」で偶像化する 「疑似宗教集団」であり、いくつかの宗教の要素を恣意的に組み合わせて作られた「混合宗教」であり、本格的な教義から外れ「異端」で、「血分け」と「ホンウム」を行なう「カルト」という非難と断罪はすべてこの命題を軸にして旋回している。つまり疑似宗教、 混合宗教、異端、詐教などの否定的な用語はすべて、この命題を強化させる強力な言説的効果を発揮している。
クリスチャン陣営によるこれらの「統一教会の非キリスト教化」(Dechristinization of Unification Church)の談話について、統一教会陣営は「統一教会のキリスト教化」(Christinization of Unification Church)談話で対抗した。

―――

 ここまで引用します。この続きには統一協会がどのような理論や言説でキリスト教認定闘争を行い、それに失敗し、キリスト教であることを諦め、異教・他宗教として自己規定をしていったのかの過程が叙述されています。張牧師が統一協会でキリスト教の福音を伝えていたころ、キリスト教を刷新する運動体という意味で、「統一協会は、キリスト教である」という認識を持ち、元々キリスト教の教会に通っていた人たちが統一協会の中で張在亨牧師の伝える福音を聞いたとして、「この過去の韓国の文脈」では、統一協会への攻撃だと認識することはないのです。
 これをキリスト教の牧師先生が現在の日本や現在の韓国で統一協会に乗り込んでキリスト教の福音を述べ伝えたら統一協会への攻撃だと認識されるでしょう。現在統一協会はキリスト教ではない異教だと自己規定しているのですから。ただ、そう自己規定するようになったのも過程があり、その前の段階もあったという歴史的背景を知る必要があると思います。


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# by sinso_christianto | 2018-10-20 17:23 | 資料集(クリスチャントゥデイ裁判) | Comments(0)

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誰が言った言葉なのか。
誰に何をどこで確認すればいいのか。
これを明確にしてほしいところです。
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公開質問状

質問6
この度の「石橋声明」から始まる一連の報道において非常に不可解な点がある。
2018年2月9日「クリスチャン新聞」の記載内容が、2018年2月8日付「キリスト新聞」の記載内容と、句読点に至るまでほぼ完全に一致するのはなぜなのか(下記の【参考:記事比較】の通り)。合理的な理由として考えられるのは、(1)時系列的にみて「クリスチャン新聞」が先行する「キリスト新聞」の記載内容を盗作した、あるいは2)「キリスト新聞」と「クリスチャン新聞」には「共有原稿」がある、(3)その他の場合、があるだろう。

(1)の場合であれば、報道倫理上から「盗作」は許されざる行為であるはずであるから、「キリスト新聞」は「クリスチャン新聞」を何らかの方法で訴える用意があるか、お聞きしたい。また、訴えないなら、その理由もお聞きしたい。
(2)の場合であれば、なぜ両社が「共有原稿」を持っているのか、となる。共有原稿があったのか、なぜ共有していたのか、その理由を、両社にお聞きしたい。
(3)のその他の場合も考えられよう。ぜひ、その理由を明確に述べていただきたい。


【参考:記事比較】


2018年2月8日「キリスト新聞」
>>【速報】 「クリスチャントゥデイ」現役従業員が連名で声明 〝一翼担ってきたことをお詫び〟

【用語解説】
東京ソフィア教会張在亨氏が設立した大韓イエス教長老会合同福音の宣教師・安マルダ氏が1998年1月ごろに東京都内に設立した教会後に日本キリスト教長老教会に所属することを明示するようになった。

日本キリスト教長老教会は、大韓イエス教長老会合同福音の宣教師たちが組成した複数の教会の集まり(教団)である。クリスチャントゥデイの設立者である高柳泉氏はカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA=University of California, Los Angeles)在学中、張氏が設立したアポストロス・キャンパス・ミニストリー(ACM=Apostolos Campus Ministry)の伝道を受け、同氏が設立したオリベット大学の前身であるOTCS(Olivet Theological College&Seminary)に入学し、2003年3月23日に卒業して日本に帰国、同年4月ごろ、安マルダ氏から日本代表使役者に任命され、東京ソフィア教会の伝道師として活動。張氏が設立した韓国クリスチャントゥデイ及び米国クリスチャンポストの資金援助を受けて同年5月15日に株式会社クリスチャントゥデイを設立して代表取締役に就任した。同年5月17日には大韓イエス教長老会合同福音において張氏から牧師の按手を受け、同年秋ごろまで東京ソフィア教会の牧師としての活動に従事していた。

クリスチャントゥデイ現社長である矢田喬大氏は、東京ソフィア教会の賛美リーダーであり、張氏が設立したACMの千葉センター代表者、張氏が設立したイエス青年会の会長大韓イエス教長老会合同福音の宣教師と日本キリスト教長老教会の牧師を取締役・監査役とする株式会社ベレコムの取締役であった。クリスチャントゥデイ現編集補佐である内田周作氏は、張氏が設立したACMの仙台センター代表者、日本キリスト教長老教会の札幌教会牧師であった。

東京ソフィア教会での聖書講義の内容を記載したノートには、「イエス・キリストではなく来臨のキリスト」などと記載されており、この記載は「イエス・キリスト」が再臨することを教義とするキリスト教とは異なる記載である。

現在、安マルダ氏など大韓イエス教長老会合同福音の宣教師たちと、日本キリスト教長老教会の牧師たちは、日本キリスト教長老教会の広島教会牧師および松江教会代理牧師であった尾形大地氏を代表役員・総会議長とする「あいのひかり教団」に所属し、2017年9月27日から29日にあいのひかり教団本部で開催された教団創立記念礼拝では張氏が説教し、矢田氏も参加していた。


2018年2月9日「クリスチャン新聞」
>>「クリスチャントゥデイ現役スタッフが声明 社長、編集補佐が異端疑惑の説明責任果たさず」

【解説】
東京ソフィア教会は、張在亨氏が設立した大韓イエス教長老会合同福音の宣教師・安マルダ氏が平成10年1月頃に東京都内に設立した教会である。東京ソフィア教会は後に日本キリスト教長老教会に所属することを明示するようになった。

日本キリスト教長老教会は、大韓イエス教長老会合同福音の宣教師たちが組成した複数の教会の集まり(教団)である。

クリスチャントゥデイ現社長である矢田喬大氏は、東京ソフィア教会の賛美リーダーであり、張氏が設立したACM(アポストロス・キャンパス・ミニストリー)の千葉センター代表者であり、張氏が設立したイエス青年会の会長であり、大韓イエス教長老会合同福音の宣教師と日本キリスト教長老教会の牧師を取締役・監査役とする株式会社ベレコムの取締役であった。

クリスチャントゥデイ現編集補佐である内田周作氏は、張氏が設立したACMの仙台センター代表者で、日本キリスト教長老教会の札幌教会牧師であった。

東京ソフィア教会での聖書講義の内容を記載したノートには、「イエス・キリストではなく来臨のキリスト」などと記載されており、この記載は「イエス・キリスト」が再臨することを教義とするキリスト教の教義とは異なる

全文掲載先:https://www.christiantoday.co.jp/articles/25265/20180305/open-letter.htm


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# by sinso_christianto | 2018-10-20 11:12 | 評論(クリスチャントゥデイ裁判) | Comments(0)

不気味なだ。だれか解いてください。

昨晩は二度寝して変なを見た。聖なる神殿で聖なる書物を二匹のネズミがカジってる。ネズミはその後、神殿の壁に落書きをした。「この書は何か?危険な書で食って腹を崩した」。

そこへ夫婦が通りかかった。その「壁の落書き」を見て言った。「うちの子は神殿に聖なる書の書き写しの仕事に行っている。これは大変」。慌てた夫婦は神殿から帰ってきた子供にその仕事をやめさせようとした。子は答えた「お父さんお母さん。これは誰かのいたずら書きです。聖なる書に毒は入っていません。見てください僕は元気です。」しかし夫婦は信用できなかった。

子供は神殿の書写の仕事を誇りに思っていたのでやめる気はなかった。それでもやめさせたかった両親は、必死で助けてくれる人を探し出そうとした。それを見たネズミは「ああオレたちが腹を下したのは昨日食った聖なる書ではなく、その前に食ったキムチ用の白菜が本当の原因だった」と思ったが、それを伝えたくなかった。そこで二匹のネズミは神殿の鐘楼に上って叫んだ。「そこで迷っているお父さんお母さん、聖なる書を書き写す仕事は危ない。なぜなら、腐った白菜用のキムチの汁で墨をすっているからだ」と大声で言った。夫婦はますます不安になって、親子の関係が冷え切った。。。ここで一回目の目が覚めた。

朝方トイレに起きて、もう一度、寝に入ったが、そのの続きが始まった。迷った両親が出てきた。「神殿の仕事は危ないんだよ、多くのみんながあがめている神殿だけど、そこは邪教かもしれない。」「そんなことはないよ」というやり取りから始まった。

その神殿には不思議な戒律があって、壁にされた落書きは消してはならないというものだった。大きく「この書は何か?危険な書で食って腹を崩した」という落書きが掲げ続けられたため、多くの門徒が神殿をあやしみ、去る者まで出てきた。参拝客は激減した。しかし神官たちはその神殿の戒律を守り続けて、掲げられたままにした。

皆が聖なる書を信じないで壁に掲げられた落書きを信じるようになったネズミは、自分たちの「仕業だ」と気が付かれなかったことを喜んだ。そして、さらにいろんな壁に「神殿の書は危険な書」と落書きした。落書きが増えるにつれて、その神殿は崩壊をきたした。。。ここではっと目が覚めた。このはなんだったのだろう。

(7月17日)


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# by sinso_christianto | 2018-10-19 22:36 | Comments(3)

臼田牧師のブログから転載する。

私たちが受けたこの情報提供が正しいのかを、三浦三千春氏に確認したい。
この情報提供が「何かの間違い」であることを祈っている。

(1)このメールは「偽メール」か、
(2)それともメールは本当で「やったこと」が間違いであったか、
(3)メールは本当だが「やったこと」も正しかったか。

(1)の場合、「偽メールかどうかは外部からはわからない」ので、ぜひそうであると信じるに足る証拠を示してもらいたい。
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クリスチャン新聞元編集長根田祥一氏が、2018年2月1日に社内に回したメール。クリスチャントゥデイ元従業員声明が出されたのは2月8日である。



クリスチャン新聞元従業員三浦三千春氏がグルになっていること、クリスチャントゥデイ元従業員声明と辞職に二人がなんらかの形で関わっていたこと、矢田社長に記者会見を開くよう第三者を介して圧力をかけていたこと、元従業員の再就職先斡旋で動いていたことなどがわかるのではないか?
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# by sinso_christianto | 2018-10-19 21:11 | Comments(0)

今回の下記2件の「キリスト新聞」報道についていくつか所見を述べておきたい。

ダビデ張グループ脱会者が緊急声明 消えぬ苦痛 報復に怯える日々 2018年10月11日
リンク先:http://www.kirishin.com/2018/10/06/19090/
【速報】 ダビデ張グループ詐欺罪で起訴 米マンハッタン地方検察庁の家宅捜索経て 2018年10月12日
リンク先:http://www.kirishin.com/2018/10/12/19848/

私たちは、これらの報道の内容が事実であっても、グループの頂点に立つと疑われている張在亨氏が「偽キリストとして教え混んでいたこと」を立証などしないし、できないと考えている。ただの悪評であるなら意味をなさない。

韓国CCKはすでにダビデ張在亨(ジャン・ジェヒョン)氏の異端性を何度もの調査の末に否定した。
さらにCCKから教界紛争のゆえに分裂した結果出来上がった韓国CCIKも、張在亨氏を異端のリストから削除した。

今回の疑惑も張氏に直接関係するものではない。

「ビオラの会」はどうやら全員匿名のようである。何らかの被害を感じているなら理解はできる。どのような教会でも問題を抱えることはあり得るからだ。そしてそのような被害があったのであれば非常に同情をする。

しかしこのような会には「実名の責任者」がいるのが普通である。名前のわからない代表者のいない状態では、誰とも交渉はできないからだ。

従って、代表者を推薦したいと思う。それはこの問題に長年かかわってきたクリスチャン新聞の根田祥一氏と、元記者の三浦三千春氏である。

そもそも根田氏はこの問題が出た2004年から14年間ずっと張在亨氏と戦ってきた、と述べている。そしてずっとそのように公然と発言し、疑惑追及を継続している。

つまり、根田氏は「日本ではもっとも古い批判者」である。
従って、今回のように「被害者が存在している」のであれば、根田氏が率先して積極的に支援に回る必要があると考えている。
私たちは、「ビオラの会」の結成は根田氏がこの長年の戦いを「総決算」するうえで非常に良い機会だと考えている。考えてみれば今回の上記のキリスト新聞の報道で、いよいよ根田氏の願った通りになっていると思われる。だから、根田氏がきちんとクリスチャントゥデイや張在亨氏と戦うなら、堂々とその姿勢を見せればいい。

それなら私たちも積極的な応援を申し出たい。実態解明こそ、私たちの望みでもあるからだ。当時存在した「東京ソフィア教会」の問題点を指摘するにはいい機会だと思われる。
しかし根田氏は、今回の報道に対し、「被害者」には声を上げてくれて喜んでいるといいつつ、今回の動きを知らなかったという。それにまた、根田氏はこのキリスト新聞記事をFacebookでシェアするときに友人限定にしている。ほかの記事は公開であるのになぜ友人限定にするのか。被害者に対しての理解もそんな程度でしかないという批判を免れないだろう。
それに、今回も根田氏のFacebookにキリスト新聞の松谷信司氏がコメントをしているわけだから、普段から情報のやり取りをしていることは想像に難くない。根田氏も松谷氏も、過去の両社の記事が一字一句同じであることに対して「共通のソース」があるからだ、と説明していた。今回も記事の責任はキリスト新聞にあるだろうが、どのみちクリスチャン新聞・根田氏も「同じソース」を「共有」するだろう。
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全く知らないし手持ちの情報はない、という言い訳は通用しない。

もはや、根田氏が「ビオラの会」の責任者を受けることでしか、「張グループ」なるものの存在を証明できないだろう。読者諸君も、それによってこの疑惑追及に対する根田氏の覚悟がどれほどのものかで推し量るべきだ。根田氏に覚悟があれば自ら戦いの前線に出るべきだろう。
それとも根田氏はこのたび上げられた声を「傍観」するというのか。もし根田氏が匿名氏の集まりの「ビオラの会」の責任を負ってでも問題を追及するというなら応援する。しかし、そうでなければ根田氏は過去の過失を覆い隠すためにやっているに過ぎないということになるだろう。ここでこそ「ビオラの会」の全責任を負い、CTと全力で戦う代表者を引き受ける覚悟を示すべきだろう。それともそのような覚悟など、根田氏にはないのだろうか。
同じことはクリスチャン新聞元社員の三浦三千春氏にも言える。
三浦三千春氏に至っては、キリスト新聞をシェアする際に、自分たちに反論をしないような都合の良い人間だけに見せているという情報操作を行っている。堂々と公開でシェアすればよいのだ。そんなのでは氏が伝達している情報の信用性にかかわる。公然と言えないことを隠れてやるのはフェアではないであろう。
私たちは「ビオラの会」の批判内容の真実性を検証する必要があると考えている。彼らの指摘にはもっともな批判も混じっていると考えているからだ。

しかし、その批判を受け止める人間がズレていては、批判にはならないだろう。

根田氏や三浦氏は、問題追及をしたいのだろうか。それとも自分の「過去の過失」を覆い隠したいだけなのか。そこをまずはっきりさせることだ。さもなければデマを流しているのと同じであろう。デマを流す人間が「ビオラの会」の人たちの気持ちを汲めるとは思わない。

むしろ、「ビオラの会」の人たちが根田氏たちによって都合よく扱われないことを祈る。「被害者」として名乗りを上げた人たちが、結果として傷つくことは避けるべきであろう。

匿名性の陰に隠れて「被害者」を利用するのが、根田氏や三浦氏ではないことを願いたい。

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# by sinso_christianto | 2018-10-15 10:55 | 評論(クリスチャントゥデイ裁判) | Comments(0)